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2006.10.28 ミルク痕
 最近、娘が食べ物に興味を持ち始めたような気がします。果汁やみそ汁の上澄などはもう飲み始めていて、まだもう少し先ですが、段々と離乳食へと移行してゆくんですね。早くいろいろなものが食べられるようになるといいなと思う反面、ミルク授乳が無くなるのかと思うと、少し寂しい気もします。
 というのも、育児のほとんどを妻に任せっきりになってしまっている半人前の僕ですが、それでも最近になって、ようやく授乳の腕が上達してきました。と言ってももちろん粉ミルクの話で、間違っても僕から母乳が湧き出ているわけではありません(もし出たとしてもそれは僕の油脂だ)。だいたいアベレージ150~200mlくらいのミルクを飲むんですけど、ここに至るまでには数々の悩みや心配、そして妻の数々の工夫や手法があったわけです。そこで、今日はそのミルク痕とも言うべき、この四ヶ月間の、娘のミルクヒストリーを辿ってみる事にします。

 第一期 
 これは産後間も無くですが、娘はミルクの飲みの勢いが半端じゃなくて、あっという間に飲んでしまうそのスピードは看護士さんをも唸らせる程でした。僕たち夫婦は早くも親バカなもんですから、そんな娘の勢いにはナイーブのCMみたいに「よし、いいぞ」といった誇らしげな思いを感じて、ピノッキオみたいなうっとーしい鼻をグングンと伸ばしていたわけですが、まだ妻が入院中のある朝、妻が授乳中、娘の顔がみるみる内に紫色になっていったと言うのです。赤ちゃんなのに紫なんです。しかも妻の顔は真っ青です。普段は暖色系の母子なんですが、その時ばっかりはシアン系でした。
 焦った妻が娘の背中を叩いたり足をくすぐったりした所、ようやく呼吸をして元の顔色に戻ったそうなんですが、その日の回診で、看護師さんが
「・・・また、まだ息継ぎできない赤ちゃんもいますので、休憩しながらあげて下さい」と注意があったそうな。




「遅ぇよ!!」

 という妻の叫びは、院内に響き渡った事でしょう。



 以来、娘が息継ぎを覚えるまでの間は、貪る娘の口から、一定のペースで哺乳瓶を外してやりながらミルクをあげることにしました。今では息継ぎを覚えたからいいんですけど、生後数日の娘がいきなりチアノーゼなんて、そりゃあびっくりしますよね。

 第二期
 今度は母乳を飲まないんです。搾乳して哺乳瓶からならそれでも飲むんですけど、乳首から直接だとまったく飲まなくなるそうで。
 マオや、ペッて吐き出されたこと、案外お母さんは根に持っているよ。






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ぺっ、ぺっ、粉ミルク持って来て。

 第三期
 今度は逆に飲まなくなっちゃいました。いろんな人に相談した所、夏場はどうしてもミルクの飲みが浅くなるらしく、白湯をよく上げるように言われました。でも白湯だって大して飲みゃしないんですよね。そんなことを再度相談してみるんですが、「大人も夏バテになるでしょう?」みたいなことを言って、大人は僕を諭そうとするんですけどね、夏バテ経験ないんで実感が湧きません。パパはタフガイですから。
 そこで、僕の勤める会社の扱っている商品で、「玄米粉」なるものがあるんです。

 これ。20061108222650.jpg



 多くのお客さんが、赤ちゃんのミルクにこれを混ぜて飲ませてあげてるらしいんですね。便秘にならないとか、よくミルクを飲むようになったとか、何しろ人気みたいなんです。売ってる人間が「人気みたいなんです」ってこともないですけど、それならばということで、さっそくミルクに混ぜてあげて見たんです。そしたら、これが不思議と飲みましたね!




 すぐむせてたけど。

 ミルクみたいには粉が溶けきらなく、哺乳瓶の中で詰まってしまうので、爪楊枝で穴を大きくしたんですけど、粉をそのまま飲み込んでしまうみたいですね。そりゃもう大泣きでした。そうなると、そのカフェオレみたいなミルクをもってしても娘は飲んでくれず、以後、身体に良いとは知りつつも、玄米粉は戸棚の一番上で、孤高にそびえ立っております。娘の喉が成熟する頃に、また会おう。再見。

 第四期
 要するに現在ですが、遊び飲みですね。最初は調子よく飲むんですけど、大体半分くらいまで飲むと、よそ見をしたり身体を反ったりして飲むのを止めてしまいます。でも半分寝ているとよく飲むという事を妻が発見してくれたもんですから、そんなときは一旦寝かしつけます。そうやって半分寝ぼけさせてから飲ませると、完食してくれるわけです。だから飲まないときは戸を閉めて室内を静かにして、まずは寝かしつけるわけなんですが、娘は僕の顔を見てニッコリ笑ったりするんですよね。そんなことされたらついこっちだってミルクそっちのけで娘と遊び始めてしまうわけでして。
 そうすると、寝かしつけるために締め切っていたはずの引き戸がそろそろと開き、その隙間から




怒髪天の妻
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 がこちらを睨んでいたり、「それは大袈裟だよ」と書き加えておかなきゃいけなかったりと、案外忙しい授乳なわけです。妻はいつも笑顔を絶やさない人なんですけどね、そのときなぜか僕の目にそう写っただけのことです。
 
 さて、そんな大変ながらも楽しい授乳期も、段々と終わりも迎えようとしています。むしろ離乳食が始まってからの方が大変な様子なのは、他の大勢の方のブログを拝見するれば一目瞭然です。でも僕には妻がいますし(無責任発言)、それにその時は大変でも、ずっと後になればそれもいい思い出となり、僕と妻の「親」としての経験に確かな一歩を加えてくれると思うのです。
 ま、と言いますか、いろいろとハプニングがあった方のが、




 ブログの記事にしやすい

 のです。
 マオや、伸び伸びと育ちなさい。

 以上、子育てGスウィングでした♪
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2006.10.14 お膝の中
 つい先日、生後四ヶ月を迎えた愛娘「マオ」。不安定だった首も最近では大分しっかり座ってきたので、抱っこの手段も選択肢が増えてきました。そうして首が安定してくると、父親としてはどうしてもやりたくなるのが、

お膝にお座り。

 例えば夕飯時に、マオがぐずって、ベッドやハイローチェアに置いておけないくらい泣いているときは、僕は嬉々として娘を自分の膝に入れて食事をするわけです。
 妻なんかは「マオの上に食べこぼさないでよ」何て言いますが、はっきり言って愚問ですね。愛する娘の上に僕が食べこぼしなんてするはずがない。起こりうるわけがない。電子が電気扱うよりももっと、取りこぼしたりするもんですか。

 さて、するとお膝の中の娘は、しばらくは夢中になってTVに食いついているため大人しいんですが、血は争えないと言いますか、僕と同じくしてじっとしていられない娘は、その内、モゾモゾと動き出して、まずは僕のぷっくり膨らんだお腹の円周に合わせて頭を左右にゴロンゴロンし始めます。
 僕が食事中で、その下には今フル稼働している胃袋があることなんて娘にしたらお構いなしです。
 時折漏れる、「うっ」という僕の呻き声なんて、娘にしたらどこ吹く風です。

 そうして頭を左右に転がすことに飽きると、今度はズリズリと背中を滑らせてテーブルの下に潜って行ってしまいます。


こんなふうに。
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 テーブルの下になんか、救うべき命も、ましてや海だってありやしないのに、海猿の観すぎなんです。
 そうやって下に滑って行くと、その内居心地が悪くなって「ううぅぅ~」って呻きだします。そりゃあ娘にしたら僕の膝の中が世界一居心地いいのだから当然です。愛を叫びたかったら僕の膝の中で好きなだけ叫べばいいんです。

 だから僕は「しようのないヤツめ」と苦笑いの一つも浮かべ、娘の股とお尻を持って再度膝の中に引っ張り揚げてやるのですが、すると娘はすかさずその僕の手に黄色い空気圧、例のあの「ブリっ」てやつをお見舞いしてくれるわけです。赤ちゃんとはいえなかなかの質量。あなどれません。夕方四時ごろになると決まって漏らす僕のため息の数百倍は生命力に満ち溢れています。
 でも僕が食事中で、その手を使ってまた箸を握るなんてことは、娘にしたらお構いなしです。
 臭気が立ち昇って来きたときの「うっ」という僕の呻き声なんて、娘にしたら文字通り屁の河童です。

誰が河童かっ!

それでもやっぱり可愛いんですよね。ふと視線を感じて下を見ると、娘が僕を見上げてたりするわけです。

こんなふうに。
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そんな時は僕の口の周りに付いたソースやらケチャップの事も忘れて、娘を暖かく抱擁してやるわけです。娘が苦しくて手足をバタバタさせてもなお抱擁してやるわけです。

父親だからね。

ささ、食事が終わると、今度は寝かしつけるか、お風呂に入れるので、父とのスキンシップの時間はまだまだ続きます・・・・・・って

 ん?
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あ!!

ゴメン、ワカメ食べこぼしてる・・・。

・・・妻はいつも正しいんです・・・。

以上、子育てGスウィングでした♪

2006.10.07 出産秘話
 今日は僕にとっての一番特別な日のことを書いてみたいと思います。

 平成18年6月9日

 PM07:00  妻、なんといきなりの破水。
 PM08:20  病院へ直行。妻、そのまま入院。

 僕は妻を病院へ送り届けましたが、まだ出産には至らないということで、再度家へと帰ったんです。

 平成18年6月10日

 AM00:00  ワールドカップ開会式 開式。
      同刻  妻、陣痛始まる。
 AM01:00  出産に備え起きて待つ僕。
      同刻  ワールド杯ドイツ戦キックオフ
 AM01:50  妻の陣痛、1時間おきになる。
      同刻  ドイツ戦 前半終了
 AM02:00  ドイツ戦 後半スタート
      同刻  妻のメールに備え、外出できる格好に着替える
 AM05:30  起床





 起床!?

 そうなんです。気がついたら外は明るかったんです。
「もう産まれちゃったか!?」と思って慌てた僕は、まず携帯の着信をチェック。ゼロ。でも安心はできません。だって出産となったらメールなんて打ってらんないですからね。そこで念のため様子を伺うメールを打つ僕。もちろん「ずっと心配で起きてたよ」的なニュアンスを含めつつ送りました。
 そしたら陣痛はいつの間にやら5分間隔に。不甲斐ない昨夜の僕に愛想を尽かす反面、まだ出産に間に合うと分かったからには、そりゃあもう大急ぎで病院へ。
 案内された部屋には、額に脂汗を滲ませて、陣痛に耐え夜も眠れなかった妻が。もうさっきまでの平和バカな僕の寝顔なんて絶対見せられないくらい、必死の形相でした。
 僕は「はわわ・・・」とか何とか言葉にならない声を漏らしながら、妻のベッドの傍らへ。そしてパパ学級で習ったとおりに、そりゃあもうすごい勢いで妻の腰を擦りました。火が出て暖がとれるくらい猛烈に擦りました。




 もうほとんど磨いてました。

 妻の腰の光沢は、言ってみればその時の付加価値ですね。

 はてさて、話を戻して段々と間隔が短くなる妻の陣痛。しかし、産道がなかなか大きくならなくて、出産にはなかなか至れなかったんです。その頃、お義母さんがやって来てくれたので、僕は仕事を休むための簡単な引継ぎをするために一旦、会社へ行きました。正直、妻の苦悶の表情を見ているのは本当に辛かったので、心の底では少しだけ安堵の息をついていました。
 でも、あの時の僕の心境はきっと妻に伝わったんでしょうね。その日を境にリアル・ダメ男を見るような妻の視線にギャグを感じないんです。僕の丸い背中を見る目が痛いんです。

やっぱり、母親って強いですね。

 はてさて、もう一度話を戻しまして、業務の引継ぎを終えて、再度病院へ戻ったんですが、その頃になると、そろそろ睡眠不足がたたって、上の睫毛と下の睫毛が、もうダメだって言うのに親密に絡み合うんです。対向車が見えないっていうのに絡み合うんです。もう命辛々ドライブでした。
 そうやって病室に戻りますと、妻の苦悶の表情は変わらず、「あと5cm・・・あと5cm」と呻く様に唱えていました。産道の事みたいです。
 可哀相にと思った僕は、再度妻の腰を磨き始めたわけですが、何分、睡眠不足なもんですから、一睡もしていない妻に悪いとは感じながらも、腰を擦りながらついウトウトしちゃってたんです。そうすると必然的に擦る力も弱くなるわけで。光る腰も光らないというわけで。

「もっと強く!」

「はいぃっ!」

「もっと下!!」

「はひぃっ!」

 なんていう風に妻の声に起こされながら腰を擦っていました。眠い頭でボーっと考えたのは「何だかおしんみたい・・・」ってことぐらいです。思えばこの会話に僕たち夫婦の縮図があったんですね。全く気が付きませんでした。

 さて、ようやく産道も十分に開いてきたようで、分娩室へと運ばれることとなりました。陣痛が始まってから既に十時間を越えています。後に妻が言うには、つわりよりも出産よりも、なによりこの陣痛の時間が一番しんどかったそうです。
 僕はオロオロする反面、「これで産んで出てしまえば妻も楽になる」と、少しだけ胸を撫で下ろしていました。急に五歳くらい老け込んでしまうくらいホッとしました。でもそれも束の間、

「ご主人は出産に立ち会われますね」

「え!?」

 笑顔というか笑顔で脅迫するように担当の看護師さんはおっしゃいました。当初、妻は立ち会わないで欲しいと言っていました。多分恥ずかしいからでしょう。僕は一生にそう何度もあることでもないし、ちょっと立ち会ってみたいなあくらいしか考えていなかったので、妻がそこまで嫌なら、一人目だし、無理には立ち会うまいと思って、その日を迎えたのですが、しかし事態は急転。そこで、僕はそりゃあ優しい夫のお手本みたいな口調で
「ねえ、看護士さんもああ言ってることだしぃ・・・立ち会ってもいい?」
 と陣痛の隙間を縫って、そっと妻に訊ねたのですが、

「ああもうっ!好きにすれば!?」

 と、インターバルの無くなってきた陣痛に、妻はそれどころではない様子。今なら「なあ、キン肉マンのDVD買い揃えたいんだけど・・・」と言っても「好きにすれば!?」って言ってもらえるんじゃないかって、そんなことばかり考えていました。

 と、邪な僕の頭の隅はさておき、とうとう始まった出産の大仕事。僕は分娩台の後ろ、つまり妻の背後に立ち、妻のお茶のペットボトルを片手に、必死の形相でいきみ始める妻に、応援の声をかけ続けていました。
 例えばこんな風に。

看護士「はい、いきんでっ!」

僕  「それ、いきんでっ!」

看護士「はい、息すって!」

僕  「いき吸って!」

看護士「じゃあ、いきんで!それ!」

僕  「それ!」

看護士「もっと長くー!長く長くいきんでー!」

僕  「長―く、長―く、長々―く♪」




ええ、何の支えにもなれませんでした。


 耳元でボソボソ呟くだけの僕を、あるいは妻は立ち会っていなかったと認識していたかもしれません。それくらい分娩室での僕の存在は、無意味にデカイだけのドリンクホルダーみたいでした。
 しばらくすると院長先生がやってきて、室内はにわかに緊迫感が強まったように感じました。もう出産が近いのでしょう。しかし室内のスタッフの動きが慌しくなればなるほど、取り残されていったのは、言うまでもなく僕です。



 ハブられてる

 のかと思いました。
 例え大人社会のいじめに遭遇したとしても、父親とは敢然と立ち向かわねばなりません。これは父親になって最初の試練なのだろうと気が付いた僕は、小さく呼吸を整えて、いつもの冷静さを取り戻し、胸の内にこの大きな社会問題に立ち向かう勇気が湧いてくることを実感しなが・・・無事産まれました。

20061021122009.jpg

舌出してますね。イヤだわ。


 本当は産まれ来る瞬間にこそヒューマニズムなドラマがあるんですけど、省略です。その瞬間を思い出すと血の気が引いてしまってそれどころじゃなくなってしまいますので。へその緒が尋常でなく長くって、引っ張っている先生が手品師で、へその緒が万国旗みたいだったことだけを、記しておくことにします。

 さて、とうとう誕生した僕達の子供は、事前に教えられていた通り女の子でした。名前は「眞央」。これも以前から決めてあった名前です。
「じゃあご主人は外でお待ち下さい」と促されるままに僕は通路に出て、言い知れぬ感動を噛みしめ、なぜか込み上げてくる嗚咽と涙を必死で堪えていました。妻が泣いていないのに、僕が泣くわけにはいきません。




だって、僕何もしてませんから。


 数分後、ヘトヘトの妻を病室で迎え、母と娘の感動のご対面。
 僕たちは晴れて「親」になったのです。喜びと同時に、にわかに身が引き締まる思いが致しました。もちろん、大変なのはこれからです。でも、やっぱり楽しみでならないのです。
 だから、その喜びを抑えきれなくって、この場を借りて日記をつけることにしました。子育てって、今僕が感じている以上に責任重大な、大切な人間の営みです。自分達だけでやろうなんていう自意識だけでは、やはりきっと上手く行かないことだと思います。だから、娘と、僕たち両親は、大勢の人に支えられて、これからの人生を歩みます。
 だから、この日記を読んでくれた皆さん、



 僕達の事、しっかり支えて下さいよ?

 以上、子育てGスウィングでした♪
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